『けものフレンズ2』五話を叩いている人たちに言いたい。
『けものフレンズ2』五話を視聴した。
見終わった後の感想は「やっば、面白かった。次週めちゃ気になる!」だった。
しかし、Twitterでの感想を見ると
「かばんちゃん登場させるなんて信じられない。たつきを返して」
「つまらない。たつきを返して」
的な感想がいっぱい並んでいてがっかり。
ではなぜここまで「けものフレンズ2」が叩かれるのだろうか。
『けもフレ2』はなぜ叩かれているのか
「けもフレ2」の一話が放送されたときのTwitter界隈の反応はこうだ。
「かばんちゃんはどこ?かばんちゃんを返してよ!!」
この反応は自分にも理解できる。確かに一話を視聴したときは「キュルル?誰だよ、いいからかばんちゃんを出せ!」と思ったものだ。
しかし今振り返ってみると、かばんちゃんのシルエットがサーバルの回想で登場したことにより、この時点でけものフレンズ2の世界線は一期と同じであることがほとんど確定しており、一期との時間軸のずれやサーバルが記憶喪失?等の伏線が一気に膨らむ良い一話だったと思う。
そして何よりシルエットのかばんちゃんを登場させたことが、今後の展開にかばんちゃんが関わってくることを示唆する伏線であり、「かばんちゃん出しますよ」と宣言しているようなものである。
全く別の世界線で話を進めるのならかばんちゃんの存在をちらつかせる必要もないし、そもそも一期と関係のない二期など、もはや二期ではない。
『けものフレンズ2』というタイトルを謳っている以上、一期とのつながりがあるのは必然だし。
そして五話でついにかばんちゃんが登場する。
するとなんということだ。
「かばんちゃんを登場させるなんて許せない。」
等の意見がTwitter界隈ではびこっているではないか。
確かに「かばんちゃんはたつき監督が生み出したキャラクターなのに、たつきを降板させた上にかばんちゃんを登場させるなんて…」という言い分も理解できる。
僕もたつき監督がKADOKAWAに降板させられた時は憤りを覚えたし、「たつきを返せよ!!」と強く思ったことを覚えている。
一期の成功はたつき監督あってのことなのは間違いないだろう。
しかし、これらの理由だけで「けもフレ2」を叩いている人があまりにも多すぎるように感じる。
「けもフレ2」を叩いている人たちはたつきを神格化しすぎているのではないか。
たつきが降板された事実はいくら叩いたところで変わらないのだから、いつまでもたつきにとらわれずに『けものフレンズ2』という作品そのものを評価してほしい。
ましてや木村監督を叩いている人などお門違いも甚だしい。
木村監督がたつき監督をないがしろにして作品を作り上げようとしていると本当に思っているのだろうか。
五話だって一期のヘラジカとライオンの戦いを良くリスペクトして作っていたと思う。まぁこれをただのパクリと思うのも人それぞれだが。
かばんちゃんの登場は最初から決まっていた
こちらの記事を読んでもらいたい。
昨年12月の初めに公開された記事で、その中で木村監督は以下のように語っている。
――その中で、新しい要素として出てくるのが新キャラクターの“子供”や“カラカル”です。
木村 新しい主人公は必要ですからね。“子供”がどういうキャラクターになるかは実際に見ていただければと思います。“カラカル”は出してほしいという要望があったんですよ。前シリーズはサーバルとかばんちゃんの2人がメインだったので、サーバルと主人公と、もう1人増やすことにより絵面や会話で前シリーズとはまた違ったこともできたらいいなと思って登場させました。
――もちろん、前シリーズのキャラクターも変わらず活躍してくれるわけですよね。
木村 そうですね。そのほかにも新しいキャラクターはいっぱい出てきますが、前シリーズのキャラクターたちも出てきますので、どちらも楽しみにしていてください。とりあえず、ビジュアルにいるキャラクターは出ます(笑)。
かばんちゃんが急に登場したことに驚いている人が多くみられるが、かばんちゃんが二期に登場することはとっくの昔に明らかだったのである。
まぁ別にこの記事を読まなくても一話を見て普通に考えれば登場することは想像できそうなものだが。
正直けもフレ二期を一期と全く別の物語であると考えるのは無理があったし、
「一期とは別の物語として見てたのに、かばんちゃんを登場させるとか!木村監督クソ!!」
みたいに叩いている人はもう少し頭働かせて、どうぞ。
とにかくかばんちゃんが登場したことに対して怒っている方々に「なぜまだ視聴していたんだい?」と聞きたい。
『けものフレンズ2』にかばんちゃんが登場することはほぼ決定事項のようなものだったのにも関わらず、まるで裏切られたかのように木村監督を批判している人たちはきっとたつきのいない「けもフレ2」を叩くために視聴しているのだろう。
せっかく視聴しているのだから「けものフレンズ」というコンテンツそのものを見てほしいと思う。
炎上から見えるファン層
「けもフレ2」の感想を見るからに、視聴している層は二つに分類される。
まず、「けものフレンズという作品そのもののファン」
そして、「たつきのファン」だ。
たつきのファンは、たつきが作ったかばんちゃんがKADOKAWAに消費されることが気に食わないし、けもフレ二期に登場することが許せないのだろう。
たつきが好きだから、たつきを降板させた「けものフレンズ2」はその内容がどうであろうと格好の攻撃対象であり、ましてやかばんちゃんを登場させたことが燃料投下となってしまったのは仕方のない話である。
そして、五話が一番炎上したということが「けもフレ2」を見ているファン層をきれいに分断させたのである。
一話から四話も少なくない批判が集まっていたものの、五話ほどではない。内容がつまらない、というのだけでは叩くための材料としては少し弱いからだ。
しかしかばんちゃんが登場した今、「たつき監督の功績であるかばんちゃんを登場させるとは何事だ」という、「たつきのいないけもフレ」を叩くための理由を手に入れ、批判の声が集まり、一部の界隈では炎上という形になっているのだろう。
五話を叩いている人は「たつきのファン」であり「けものフレンズのファン」では無かったということである。
(たつきが作ったものこそが「けものフレンズ」なんだよ。だから「たつきのファン」こそが「けものフレンズ」のファンなんだよ。という人はアプリの存在等に関してはどう説明するのかだろうか。「けものフレンズ」というコンテンツそのものについて考えればアニメ一期こそが特異的なものであったとも言えるわけで。)
僕自身、別にたつき監督の騒動に興味が無かったわけじゃないし、最初は「けもフレ2」についても批判的にとらえていたけれど、「せっかく見るのだから…」と極力偏見無く観るようにしている。
一話から四話は決して面白いとは言い難い出来であったことは同意だが、五話が批判に値する内容だったとは思えなかった。
Twitterを見てみると、五話を批判している人が多い一方、面白かったと称賛する声も見られる。
作品そのものを楽しんでいる人には五話は面白く見えたのではないだろうか。かばんちゃんが出てくることは「たつき騒動」を考えなければ何らおかしくない展開で、一期と二期が繋がる熱い展開なのだから。
もちろんたつきファンからすれば五話が(たつき騒動の面から見て)面白くないのは当然な話で、この批判もあってしかるべきだと思う。
「二つの派閥のどちらが間違っている」みたいな話は不毛な論争になるだけなので結論付けることはしないが、両者の楽しみ方の違いが生んだ炎上であったということは言えるだろう。
叩いている人たちに伝えたい
僕は「けもフレ2」を叩くこと自体が間違っているとは思わないし、五話が炎上していることについても仕方ないことだと思う。
それでも木村監督を叩いている奴らは理解できない。
なぜ木村監督を叩くのだろうか。
たつきが降板させられたことが気に入らないならKADOKAWAを叩けば良いじゃないか。木村監督がたつきを降板させたわけじゃないのに。
そもそもかばんちゃんが主人公から外されたのもKADOKAWAの力が働いたからでしょ。その中で、このかばんちゃんの登場は最善の策だったと思う。
しかも「けものフレンズ2」という作品を作るのに、一期とのつながりを全く絶ってしまったら、それは何のための二期なの?となってしまうのではないか。
木村監督は「けものフレンズ」の続編を作っているのである。
批判が起こることは分かっているなか、「けものフレンズ」の続編を作ろうとする姿勢は純粋にすごいと思うし、木村監督が適当にこの作品を作っていると思っている人がいるのは悲しい。
「監督なんて誰でもいい」という発言は「監督だ誰かなんて気にせずに、作品そのものを楽しんでくれ」という考えのもとでの言葉だったのではないだろうか。
言い方が言い方だけに感じ悪く聞こえてしまうかもしれないし、Twitterでちょっと暴れてしまったのは擁護できないけれど…
設定が甘かったり、リスペクトが欠けていると感じる点もあるのは分かるけど、それにしても叩きが露骨すぎる気がする。
もし同じ内容で「監督:たつき」と放映されていたとしたら批判の声は半減以下になるでしょ。
ぜひとも批判している人は、監督騒動云々を考えずに作品そのものを見てもらいたいと思う。
本当に「けものフレンズ2」が叩くに値するのか。木村監督を叩くに値するのか。
まだ物語は半分も進んでいないのだから、これからの展開を楽しみに待ちましょうよ。